私は公認会計士の第2次試験に合格して23歳で外資系の会計事務所に就職し、約3年半勤務しました。先月その外資系事務所のOBゴルフ会に呼んでいただき、40年ぶりに一緒に仕事をした先輩方と会うことができました。。 新人研修で「井上君はどうして公認会計士試験を受けたのですか?」と質問され、私が「そこに試験があったからです」とふざけた回答をして、「こいつはアホか」とあきれ果てていた先輩。
私がかなり時間を掛けて作成した監査調書をひと読みして「ダメだこんなの、やり直し」と言って目の前でビリビリと私の監査調書を破いた先輩。
私が分からないことを質問すると「あんたね~ 何回同じ事言わせるの!」といつも「あんたね~」と言ってかなりいじめられた先輩。
そして「修ちゃん 何やってるの~」といつも優しく指導してくれた先輩方々とゴルフで楽しいひと時を過ごし、昔話に花が咲きました。
私は3か所の会計事務所に勤務しましたが、この外資系事務所が初めで、次に小さな監査法人に7年勤めました。その監査法人の代表には退職後も毎年挨拶に行き、事務所の先輩とは同じゴルフクラブに入って一緒に遊んでました。代表が亡くなってそのお別れ会にも呼んでいただきました。3カ所目の小さな会計事務所に勤務後に独立したのですが、独立後にその事務所の先生が亡くなり、先生の奥様から先生の相続税の申告を依頼されました。
勤めを辞めて新しい職場に移るのは良いのですが、少なからず退職した職場にはお世話になったわけですから、職場への感謝の気持ちを持って退職するべきだと思います。そうでないと40年後にお世話になった先輩方と楽しいゴルフはできませんよ。
季節になりましたのでカワハギを釣りたいと思い江の島の釣船を予約しました。6時30に出船です。カワハギ釣りは、3本の針にアサリのむき身を付けて釣ります。カワハギの口はひょっとこみたいな口でとても小さいのです。なかなか難しい釣りです。
案の定、釣り始めて1時間たっても当たりがありません。やっと釣れたと思ったら小さなフグ。フグは私を馬鹿にしたように顔を膨らませてクネクネしています。そして、ブルブルという感触で釣り上げた初めてのカワハギは、リリースサイズのカワイ子ちゃんです。その後、釣れたカワハギは皆同じような小型サイズで型が良いのが釣れません。すると今度はかなりのあたりで、引きも強く良型のカワハギかと大喜びしたものの、上がってきたのはでかいフグ。これを持ち帰ると命にかかわるので当然サヨナラです。そしてまたしてもかなりの引きで期待を込めて釣り上げると大きなベラ。これで納竿です。
7時間の釣りで、カワハギは小さいのが5枚。船中も数は出ていません。船が波止場に到着して降りようとしたらバランスを崩してスッテンコロリン。おしりを強打して、他の釣り人に「大丈夫ですか?」と心配される始末。立ち上がると、釣り宿のおじちゃんが「これお土産」と小鯵がたくさん入ったビニール袋をくれました。「これで夕飯食べてね」という粋な計らいで気分を良くして帰路につきました。カワハギは肝を醤油に解いて、それを刺身につけて食べると美味なのですが、肝も取れないほどのカワイ子ちゃんでしたので残念でしたが美味しく戴きました。
三浦半島のほぼ先端に金田湾があります。夏は三浦海岸があり海水浴で賑わいます。そこに手漕ぎボートのレンタルをしている釣りの浜浦というお店があり、子供が小さいときによく一緒にボート釣りをしました。20年以上前には、湾内に小あじが入り込んで入れ食い状態のこともあったり、秋になるとイイダコがよく釣れましたが、今はキスやカワハギがよく釣れています。
その後、金田湾にある拓郎丸という釣船によく通いました。朝、天気の具合を見ながら「今から行っても良いですか?」と電話して気軽に行ける釣船で、船長もとてもやさしい方でお気に入りでした。この船で33センチの記録的なキスを釣ったのです。しかし、船長は若くして病気になり船は陸に上がりました。もう10年以上前のことです。
そして、先週の日曜日に同じ金田湾にある邦丸という釣船に乗ってイサキを釣りに行きました。風が強く大波でしたが、20センチ前後のイサキがかなり釣れました。本来は7時間くらい釣るのですが、3時間半くらいで「もう帰ります」と船長に告げ納竿です。お土産はたくさん釣れたイサキで十分なのですが、船長の奥さんからアジの干物とお茶のお土産をいただきました。とても感じの良い釣り船で、満足の1日でした。
イサキは刺身と塩焼きで食べましたが、いずれもとても美味でお酒のお供に最高でした。
青森県の津軽半島と下北半島の間に、ホタテで有名な陸奥湾に突き出た夏泊半島があります。その半島の先端に夏泊ゴルフリンクスというゴルフ場があり、妻と二人で行ってきました。羽田から青森空港に行き、レンタカーを借りて弘前城→津軽三味線の生演奏→ねぶた祭り資料館→浅虫水族館と観光してゴルフ場に併設してあるロッジに泊まります。お風呂はゴルフ場のお風呂ですが温泉です。夕食はこれまたゴルフ場のレストランでホタテを主とした料理をおいしく頂きました。新鮮なホタテが美味でした。
翌日はリンクスコースのゴルフ場でプレイして、昼はホタテの刺身に舌鼓。プレイ後は青森空港にレンタカーを飛ばして空港のフードコートで夕食です。妻が温かい味噌汁を食べたいというのでお店の人に聞いてみると「味噌汁だけの販売はありません」と予想通りの回答。メニューにないのですから当たり前です。ビール、焼きイカ、ホタテ焼き、ポテトなどを注文して出来上がりを待ちます。出来上がった合図のブザーが鳴りお店に取りに行くと、なんとトレーの上に温かい味噌汁が二つもサービスで乗っています。丁重にお礼を言っておいしく戴きました。旅の最後でこのような優しさを味わえて、最高の気分で帰路につきました。青森空港のおじさん、ありがとうございました。
ジャガー横田デビュー47周年記念大会を後楽園ホールに見に行きました。出場選手が私の好きな葛西純やスターダムに出ているウナギ・サヤカ、大ベテランのアジャコング、尾崎魔弓、井上京子と、新旧のスターが出るということで妻と二人で観戦です。
はじめにライオネス飛鳥のトークショー、そしてジャガー横田と夫の先生と息子が挨拶し、試合開始です。第3試合のハードコア6人タッグマッチは圧巻でした。ハードコアマッチとは、いわゆるデスマッチのことです。世羅りさという女性レスラーが始まってすぐに顔面を血で真っ赤に染め、容赦なく葛西が責め立てます。
メインイベントは、ジャガー(62歳)、アジャコング(52歳)、尾崎真弓(54歳)、井上京子(54歳)のタッグマッチです。皆さんかなりのご高齢ですが、年齢を感じさせない動きでリング上だけでなく、場外乱闘も激しくやっています。私と年齢が近いジャガ-がどんなレスリングをするのかと思っていましたが、さすがにプロですね。私がやられたら2度と起き上がれないような技を受け、そしてやり返しています。日々の鍛錬の賜物です。
久々のプロレス観戦でしたが、5試合ともスピーディーな試合展開で見る者を飽きさせない素晴らしい内容でした。「見に来てよかった」と感じたプロレス観戦でした。
キスを釣りに行こうということになり、江の島の「島きち丸」という船を予約しました。当日はあいにくの雨で、44人乗りの船に私を含めて5名だけを乗せて出船です。約20分くらい船を走らせて鎌倉の海岸で海に仕掛けを投入します。船頭の他に助手のおじいちゃんがいて、釣り方や仕掛けの絡みをほどいてくれます。私の仕掛けがすぐに糸が絡んでしまうので、見るに見かねて絡みにくい仕掛けを貸してくれました。おかげでキスが順調に釣れ始めて、他にカワハギやメゴチも釣れました。釣行時間は6:30~11:30ですが、丁度よいくらいですね。釣行の終わりに船頭が「本日は乗船いただき誠にありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。」と丁寧なあいさつをいただき、助手のおじいちゃんもとても礼儀正しい方でした。いままで乗った釣り船ではなかった対応に感心し、「やっぱりサービス業はこの船頭や助手のおじいちゃんのような丁寧な対応が必要だな」と勉強になったキス釣りでした。
キスは二人で50匹くらい釣れて、てんぷらと骨はから揚げにして夕飯に並びました。ビールのお供に最高です 旨かった~
気の早い孫が、誕生日の1カ月前だというのに去年と同じく誕生日のプレゼントを西武園遊園地ということで行ってきました。平日の火曜日で、学校を休んで行くのです。「先生になんて言って休んだの?」と聞くと「祖父と出かけるので」と言ったそうです。嘘ではありません。
当日の朝は雨が降って気温も3月並みの15度くらいです。「混んじゃうから早く行こう」という孫の言葉で、8時に出発です。狭山湖の横を通って西武園の駐車場へ9時5分に到着。雨と寒さで車は1台しかいません。10時の開園まで先頭に並びます(並んでいる人は私たちだけ)。開門して一番乗りでまず缶ビールを買い、グイっと飲み干してゴジラ・ザ・ライドに向かいます。私と孫の二人だけで連続2回恐怖を堪能しました。その後、あまりにも寒いのでワンカップの熱燗をテイクアウト。チビチビやりながら孫の後をついて回ります。昼食は列車を模したレストランでビーフシチューを食べながら赤ワインを2杯。しかし、その後に乗った空中ブランコという遊具で撃沈。目が回り、胃が気持ち悪くなる。もう帰りたいと思うが、孫が「閉園までいる」と主張。17時の閉園まで雨と寒さと気持ち悪さを我慢して何とか帰宅。孫は「あ~楽しかった」と満喫。
娘から電話があり、「じーじは、空中ブランコに乗ってからイライラしだして、西武園のスタッフにも強い口調でパワハラまがいのことをしていたよ」と孫が言っていたとの連絡あり。これは嘘です。
この4月にボクシングの世界タイトル戦がいくつもありました。
まず重岡銀次朗の王座決定戦です。1月にチャンピオンであるダニエル・パラダレスに挑戦しました。1回2回と銀次朗の強さが際立ち、「これはタイトル奪取間違いない」と思っていたら、3回にチャンピオンがちょっとした頭と頭が当たったバッティングを理由に試合が続行できないとレフェリーに泣きつき、無効試合になってしまいました。明らかにチャンピオンが「これは負ける」と感じて意図的に「頭が痛くて試合を続けられない」とアピールしてチャンピオンの座を守った試合です。再試合の要請も耳の不調を理由に拒否している始末です。とんでもないメキシコのチャンピオンです。銀次郎はこの不運な世界戦を乗り越えて4月16日に王座決定戦で勝利をあげています。
そして銀次郎の兄である重岡優大もWBCの王座決定戦で勝利をあげています。また、井上尚弥の弟である井上拓真もWBAバンタム級の王座決定戦に勝利しました。
何といってもベストバウトは寺地拳四郎の世界防衛戦です。当初の対戦相手が肺炎になり、代わりにアンソニーオラスクアガという米国人が相手でした。試合は、お互いに休むことなく打ち合い壮絶な試合となりました。拳四郎は折れそうになった心を必死に耐えて9ラウンドに見事ノックアウトして勝利しました。この試合を見ると那須川天心のボクシングデビュー戦が薄れて見えます。拳四郎の戦うボクシングは最高です。今後の試合が楽しみです。
WBCでの日本選手の活躍には楽しませてもらいました。日本対メキシコ戦はゴルフ場の昼食時に、テレビの前のテーブルに陣取り皆で観戦です。スタート時間を気にしながらのテレビ観戦でしたが、9回1・2塁のサヨナラのチャンスで村上の打席です。1球目が終わったところで残念ながらスタートの時間。急いでティーグラウンドに走ります。ティーグラウンドで同伴者がスマホを見て「あっ 6対5で日本が勝利!」と絶叫。4人とも興奮冷めやらずとんでもないティーショット。
決勝は事務所で会議室にある大型ディスプレイを2台執務室に持ってきて、PCとつなげてながら観戦。夢中で見ていると11:30分の医者の予約を思い出し、急いで医院へ。待合室では、ありがたいことにテレビでWBCを放映中。名前を呼ばれ先生にWBCの経過を報告。水虫の検査で、検体を取ると「結果が出るまで待合室で観てていいですよ」と優しいお言葉。また名前を呼ばれ、「水虫はいませんでした」と言われ診察終了。すると「今日は暇ですから最後まで待合室でテレビ観てってください」と言われ先生とスタッフの方と一緒にテレビ観戦。優勝の瞬間、みんなで「やったー!」と大歓声。本当に楽しめたWBCでした。
ヤフーニュースを見ていたら「重症心身障害児のデイサービス」が目にとまりました。デイサービスといえば年配者の利用するものしか頭に浮かびません。
運営者の紺野昌代さんは看護師で、3人のお子さんは皆生まれ持って重傷児ということでした。長男が13歳で亡くなり、その後離婚で先が見えなくなり、2人の子供を乗せた自動車で崖の手前でアクセルを踏もうと後ろを振り向くと子供の笑顔、「この笑顔を守らなければ」と踏みとどまります。
その後、重症児のデイサービスを探すが数が少なく、「なければ自分で作ればいい」と重症児のデイサービスの事業所を自らオープンします。残念ながら2人の子供も2020年に亡くなってしまいました。
大変な思いをされて元気に活躍されている紺野さん。少しですがアトラスも寄付をさせていただきます。介護保険で年配者を対象としたデイサービスや老人ホームはかなり充実してきているのですが、私たちの代わりにそれよりもっと大変な思いをして家族を支えている方への行政のサポートがもっとあってもよいと思います。
新聞によるとメキシコの覆面レスラー、ミル・マスカラスが、2021年秋に叙勲したことを正式に伝える伝達式がメキシコのアレナ・メヒコ(メキシコシティーにあるルチャリブレの本拠地)で行われ、駐メキシコ大使からリング上で叙勲の伝達を受けたということです。
今は亡きアントニオ猪木の叙勲も最近ありましたが、生きているうちにあげたかった・・・
外国人レスラーでは、ザ・デストロイヤーも叙勲しています。私としては、猪木にあげるならジャイアント馬場にあげて欲しかったし、外国人レスラーならアブドーラ・ザ・ブッチャーやスタン・ハンセンにあげてもいいと思うんだけどな?。やはり、マスカラスやデストロイヤーといった正統派のレスラーでないと勲章はもらえないのですかね。
プロボクサーでは、日本で初めて世界チャンピオンになった白井義男やファイティング原田が叙勲しています。具志堅用高にもあげて欲しいし、井上尚弥には国民栄誉賞を早急に与えることを声を大にして言いたいと思います。
現在私たちが接種しているファイザー製のワクチンを開発した会社がドイツのビオンテック社です。もともとこの会社はmRNA(メッセンジャーRNA)を使ってガンの免疫療法を開発している会社でした。創業者であるエズレムとウールの夫婦は、中国で発生した新型コロナウイルスの報告を聞いて、「これは間違いなく世界中でパンデミック(爆発的な感染)を起こす」と確信し、ワクチンの開発に没入します。
もともとワクチンは、病原性を弱めたり病原性を無くしたウイルスを使って作りますが、私たちが接種しているコロナワクチンはこれらとは全く異なるmRNAという分子を利用して作ったワクチンです。いままで、ワクチンの完成まで最低でも4年かかっていたものが、このmRNAを利用したことによりわずか11カ月で開発することができたのです。
最終段階での治験は、本物のmRNAワクチンと人体に無害の偽薬を被験者に投与してその後の感染者の割合を見ます。その結果、コロナに感染した被験者170人のうち、mRNAワクチンを2回投与された被験者はわずか8人だけで、mRNAワクチンの有効性は95%以上あるとしてファイザーから世界に送られたのです。
以上は、「mRNAワクチンの衝撃」という本を読んでのものですが、開発までの11カ月におけるビオンテック社の資金調達や行政当局及びアメリカの巨大企業であるファイザーとの交渉などがスリリングに書いてありました。ドイツの小さな創薬ベンチャーが世界の命を守ったのですから「ブラボー」ですね。