4千メートル近くの高地にあるホテルに泊まってきました。軽飛行機とヘリコプターを乗り継いだ後に少しだけ山登りをするとそのホテルにたどり着きます。ホテルから見るヒマラヤの景色は最高ですが、さっそく高山病にかかり頭が痛くなりました。
起きているときはまだよいのですが、夜ベットに横になると頭痛だけが意識されて、なかなか寝付けません。寝返りをして左胸を下にすると、ものすごい勢いで動いている心臓の鼓動が耳に伝わってきます。足らない酸素を心臓が一生懸命に体に供給しています。
「あぁ、やっぱり酒を我慢すればよかったな~」と寝ながら悔みます。高山病にアルコールはダメと聞いていながら、「ちょっとだけならいいや」と飲んだのがまずかったのでしょうか。そんなことを考えていると更に寝れず、これまた高山病には良くないとされる睡眠導入剤を試しに飲んでみます。
効果てきめん。スーと睡眠に入り大成功。と思いきや、夜中の1時ごろにパッと目が覚め、頭の周りに輪っかをはめられたようなひどい頭痛です。やっぱり睡眠導入剤が駄目だったようです。睡眠導入剤を飲むと呼吸数が減り、余計に体内の酸素が減ってしまうからのようです。やはり、世間一般にダメといわれていることはダメなのが実感できた旅でした。
ウイルスに侵されたパソコンを持っていただけで何の罪もない人が犯人扱いにされたり、DNA鑑定の精度が上がったから有罪が無罪になったり、犯人と人違いの写真がテレビで放映されたり、IPS細胞の世界初の治験が誤報道されたり、と何を信じてよいのか分からない世の中となりました。
都内のクレープ屋さんがテレビの取材を受けたところ、奇抜なクレープを作っていることから、「この店が流行っているのは味覚障害の若者が多くなったからだ」という趣旨の番組内容になっていることを、放映されて初めて知ったと言っていました。取材時にはそのようなことを一切知らされず、編集の段階でそのようなストーリーになったのでしょう。
私も消費税についてのテレビの取材を今年受けましたが、実際に放映された内容は、「消費税の制度の不備を糾弾する税理士と消費税法を立案した役人との対立」といった構図となっていて、放映されたテレビを見て「え~ こうなっちゃうの~」というのが正直な反応でした。みのもんたさんが最後に「私は井上税理士の意見に賛成です」とコメントしていましたが、私は何も主義主張しておりません。
面白おかしく作るのがテレビでしょうが、実際とかけ離れたストーリーを編集で作られるのも怖い話です。
いつも新聞をスポーツ欄から読み始めるという人の記事が以前新聞に載っていました。その理由は、スポーツ欄の記事は、選手を褒め称える内容が多く、読んでいて気持ちが良いからというものでした。それ以外の記事は、事故や事件や人や企業の批判ばかりで、確かに読んでいて気持ちが良くなるものはありません。なるほどな~、と思います。
政治家のインタビューでも批判ばかりです。週刊誌も政治家や芸能人のスキャンダルや醜聞を活字にして攻撃します。そんなものを見たくなくてもテレビ番組や新聞広告や電車の中吊り広告で目に入ってきます。良い気持ちはしないですよね。
殴り合いのボクシングやほぼ喧嘩に近い総合格闘技でも、試合が終わった後は勝者でも敗者でもお互いを称えて握手します。批判しあうなどということはありません。見ていて気持ちが良いですよね。
私が長らくお世話になった会計事務所の先生が、クライアントの社長さんに「経営はこうした方が良い、ああした方が良い」とチョッと批判的なことを言ったところ、その社長さんは「そんなことを言って、先生はご自分でその通りにできますか?」「ご自分でできないことはクライアントに対して言わない方が良いですよ」と諭されました。確かに、批判するのは誰でもできます。では「それをやれるか?」と問われれば、やはりできないでしょう。社長さんのきつい一言でしたが、いつも先生と呼ばれて自分は偉いと錯覚しがちな我々士業にとっては、ありがたい言葉だと思います。
松本サリン事件の被害者である河野義行さんの本を読みました。河野さん本人と最愛の妻も松本サリン事件の被害者となりました。妻の澄子さんは意識が戻らないまま14年間の闘病後に亡くなりました。河野さんは、このような状況でも現実をあるがままに受け入れ、現実を悲観するどころか、意識がなくても生きていてくれる妻に感謝して日々の生活を送っていました。私なんかとてもまねのできない人生観の持ち主です。
また、河野さんは「いつ死んでも後悔しないような生き方をしたい」ということで、思い立ったらすぐに実行する方です。仕事にしても趣味にしても、後先を考えないでやりたいことをすぐ行動に移す方です。この点は私も考え方は似ていて、共感できます。
あのような事件に直面して、一時は犯人扱いされたのに、誰を恨むわけではなく、淡々と日々の生活を送っている点がすごいですね。勇気をもらえる一冊でした。
事務所にプロボクサーが在籍しています。大学生の時にプロのライセンスをとって4回戦を2回やって2敗、同門のボクサーが片目を失明したことで恐怖感を憶えて引退。そして何を思ったのか、数年前にプロに復帰。なかなか復帰戦が決まらず、プロの年齢制限である37歳で復帰戦でありかつ引退試合を後楽園ホールで先月行いました。
会場には事務所のクライアントや事務所のメンバーも応援に駆けつけ、応援の横断幕まで登場しました。私が会場に行くと、事務所を辞めたアトラスOBも応援に大勢の人が来ていました。その中でも「先生ご無沙汰しています」と懐かしい顔が声を掛けてくれたのは嬉しかったですね。皆元気で、それぞれの仕事場で活躍しているようです。
試合はそれなりの内容でしたが、試合後の飲み会は格闘技好きの人が集まり、盛り上がりました。なかなかのイベントでした。
プロレスラーのハルクホーガンの自伝を読みました。小さい頃からの生い立ちと、プロレスラーになるために地元の団体に日参して、日系レスラーのかわいがりにより骨折をしてもめげずに通いつめて、やっとレスラーになりました。その後はメディアにうまく乗って大成功をしましたが、ステロイド問題や妻との不仲、長男の交通事故、裁判など天国と地獄を見たというものでした。
ハルクホーガンが人生のどん底にあったときに、ザ・シークレットという本と出合い、その内容に強い衝撃を受けて、新しい人生が開けたことが記されています。ハルクホーガンは、この本と出合ってからは人を恨むことがなくなり、すべての人に感謝するようになり、心穏やかに日々の生活を送っているようです。
確かに何事にも感謝する気持って大切なことだと思います。どんなことでも「ありがとう」「ありがたい」と思うことができれば、心穏やかに日々が送れるような気がします。私も実はかなり前にザ・シークレットを読みましたが、正直言って何も感じませんでした。まだまだですね・・・
私の格闘技好きが妻にまで伝染して、テレビを見ていると「格闘技やってないの?」とよく言われるようになりました。そこまで見たいのであればと、格闘技専門チャンネル「FIGHTING TVサムライ」を有線放送で申し込みました。このチャンネルは、プロレスを中心に24時間格闘技を放送しています。プロレスの番組が一番多いのですが、総合格闘技やキックボクシングも放映しています。また女子プロ全盛時代の全日本女子プロレスも放映され、その勢いのあるプロレスに感心したりしています。
いろいろな格闘技を見ていると、キックボクシングが何故か新鮮に感じられます。何でもありのプロレスや総合格闘技を見慣れてしまったからでしょうか、立ち技でやり合う戦いに引き込まれてしまいます。
このキックボクシングを見ていたら、懐かしい選手が出ていました。立嶋篤史という選手です。「え~まだやってんだ」と試合を見ていたら、もう40歳ということです。40歳でしばき合いのキックボクシングをやっているなんて脅威です。しかも、相手は若い選手です。「これはダメだろ~な~」と見ていると、何と立嶋のKO勝ちです。「やったー」と思わず雄叫びをあげてしまいましたが、本当に嬉しかったです。
立嶋選手の子供でしょうか、かなり大きな子供を肩車して勝利のポーズをとっていました。おじさん格闘家が活躍すると自分のことのように嬉しいものなのです。次回の試合は見に行きたいですね。
新聞に重度心身障害児療育施設の内科医を長年勤めた医師が書いた本の書評が載っていたので、私もその本を購入して読んでみました。生まれた時から重い障害があって、自ら体温の調節ができなかったり、呼吸自体もままならない重い障害を持った子供たちが暮らしているびわこ学園という重症心身障害児施設ができるまでの歴史や、そこでの子供たちの暮らしぶりが書いてあります。施設を見学した外国人が、「ここまでして生きている意味があるのか疑問だ」と感じるくらい重い障害を抱えた子供たちが生活しています。
著者は、子供たちと日々接していると、たとえほとんど無反応の寝たきりの子供でも、治療を進めていくとかすかに安堵の表情を浮かべたり、息が苦しくて額に汗をかいて呼吸している子供でも、いろいろな介護者の工夫により気持よさそうに呼吸をしていると言います。つまり、健常者が普通に感じる快不快や苦痛や喜びと同じことをびわこ学園の子供たちも感じているということです。生きている意味がないのではなく、正に我々と同じように生きているのです。
重い障害を生まれもって抱えることは、人類が生き続けるために誰かが引き受けるしかありません。著者は、重度心身障害者を人類が生きているための、人類を支える「人類戦士」と説明しています。
私たちは、この人類戦士の存在を忘れてはいけません。泣き言を言ったり、つらい時に心が折れたり、小さいことを気にしたりしては、人類戦士に笑われてしまうのです。
ゴルフを約20年ぶりに再開して3年くらい経ちますが、なかなかうまくなりません。昨年NHKの教育テレビでゴルフレッスンの番組をやっていて、はじめてゆるゆるグリップの理論と出会いました。
ゆるゆるグリップ打法は、左手は中指・薬指・小指の3本でクラブをソフトに握り、右手は人差し指だけをクラブに引っ掛けるように添えます。始動とともに右手人差し指を支点としてコッキングを行い、そのまま右脇を締めてテイクバックします。トップでは力を抜いてヘッドの重みを感じて後は振り下ろすだけです。
うまく行く時はフィニッシュでも左手はゆるゆるのままです。うまく行かない時は、体のどこかに力が入っていたり、グリップを強く握っていたりするときです。要はクラブヘッドの重みだけで振り子のように体を動かさないでクラブが円を描くようなスイングが理想とする打法です。
私は、てっきり体の力をクラブにいかに伝えて遠くに飛ばすかがゴルフだと思っていたのですが、違います。いかに体の力を抜いてクラブヘッドに仕事をさせるかがポイントになるのです。
私の兄はレッスンプロに習っているのですが、「グリップは両手でしっかり握って」と教えられています。今のところ私と兄は、スコアも同じようなものなので、2人ともまだ修行中ですが、ゴルフ理論は対極に位置しています。
私はゆるゆるグリップを極めようと思っていますが、ビジネスの中でもゆるゆるグリップのような革新的な理論を自ら極めて、一歩抜きん出たビジネス展開をしていきたいと思っています。
震災から1年経とうとしています。自分で実際に陸前高田市に昨年行ったときの光景は今でも忘れられません。また、被災した仙台の個人事業者の方が、私が書いた本(既に絶版になっている)が海水に浸かってボロボロになってしまったので直接購入できないか、との問合せがあり、事務所にあった在庫をお送りしました。最近この方から、「お蔭様で無事確定申告が終わりました」というメールと仙台特産の蒲鉾の詰め合わせを贈っていただきました。復興で大変な最中、こんなことまでしていただいて恐縮するとともに、とても嬉しかったですね。
新聞に福島第1原発4号機の記事が載っていました。4号機は使用済み核燃料のプールに大量の使用済み核燃料が保管されていて、丁度定期修繕の最中に津波が押し寄せ、偶然にもプールの水抜きを予定通りにしていなかったことから、運よく大量の冷却用の水が確保できたと記しています。最悪のシナリオとして、4号機の使用済み核燃料の冷却ができなかった場合、放射能等の有害物質が大気に放出され、とても人が近づくこともできない状況になって、近くの福島第2原発も放棄して、首都圏の住民も非難するようなことも想定されていたと書いてあります。ゾッとする話ですが、現実にこれからも起こりうることであるのが怖いですね。
私は現在、生まれ育った地で日々平凡に暮らしていますが、最近ふらっと立ち寄った最寄駅のお店で久しぶりに大感激をしました。私はもともとグルメでもなんでもなく、納豆とカレーとラーメンがあればいつも満足する程度の人間です。
かなり前になりますが、お客様と当てもなく出会ったちゃんこ屋さんにふらっと立ち寄ったことがあります。そのお店のメニューは1つのコース料理しかなく、不安な気持ちで待っていると、一品目が出てきました。蓮の天ぷらです。食べた途端、ご一緒したお客様と顔を見合わせてしまいました。
「何だこのおいしさは!!」
その後出されたタレをつけて食べるちゃんこ鍋にも大感激でした。
何と、今回出会った最寄駅のお店はその時を超える味わいでした。
まず、太い茹でアスパラガスをマヨネーズとミソのタレで食べました。
「ん~久しぶりのヒット。うまい!」
と思わず叫んでしまいました。
その後、ごぼうの天ぷらやニンジンの天ぷら、鳥料理、そして最後にチキンライスを食べました。チキンライスは、よくあるオムライスの中身を想像していたのですが、これが出汁が効いていて旨い。すべての料理が食べ物の素材を生かした逸品でしたね。
かなり前に行ったちゃんこ屋さんは 入谷の 玉勝 という店です。
そして今回の大感激のお店の名前ですが、、、今のところは「ナイショ」にさせてください!昨年12月に元プロレスラーの上田馬之助が亡くなったと新聞の片隅に載っていました。タイガー・ジェット・シンとタッグを組んで私たちを楽しませてくれたものです。ところが遠征の途中に高速道路で事故に会います。確かタバコを取ろうとしてシートベルトをはずしたその時にトラックに突っ込まれて車外に放り出されたと本に書いてありました。この事故で首から下が麻痺してしまい、身体が資本のプロレスラーとしてはあまりにも惨い仕打ちとなってしまいました。しかし、その後も講演活動などをして前向きに生きていきました。
プロボクサーのジョー・フレイジャーも昨年の11月に亡くなってしまいました。機関車のように常に前進してパンチを振るうあの戦い方が私は好きでした。モハメド・アリとは対象的な戦い方で、打たれても打たれても前に出るあの勇敢さがよかったですね。
こんな古い話を書いても、今の若い人には「何言ってんの?」と思われるでしょうが、私にとってはヒーローなのですよね。家には、モハメド・アリ、ジョー・フレイジャー、ジョージ・フォアマンの3人が一緒に写っている写真が飾ってありますが、一人欠けてしまったのが残念です。
経済環境は未だに厳しいものがありますが、この2人のヒーローに負けないように、前を向いて前進前進の一年にしたいと思います。本年もよろしくお願いいたします。