最近、久しぶりにお会いしたお客様から「先生、たくましくなりましたね」と私のお腹に視線を向けて言われることが多くなりました。そこで「ジョギングでもしてみようか」と考えていたところ、公認会計士協会から駅伝の案内が来ました。
この駅伝は、埼玉スタジアムの外周(1.1km)を22周(22km)走るもので、メンバーは最大5人まで、同じ人が何度でも走ることができるルールです。各メンバーは最低1周走らなければなりません。
駅伝の申し込みをしてから最低1周は走れるように、自宅近くのグラウンド(1周450m)を3周する練習を始めました。途中、膝が痛くなり1週間ほど休養をとりましたが、3周は何とか平気で走れるようになりました。
そして、駅伝の当日です。私が第一走者です。周りを見ると、皆若い人ばかりでチョット圧倒されます。号砲が鳴り、生まれて初めての駅伝のスタートです。「最下位にはなるな!」と言われていたので、練習で走ったスピードの1.5倍のスピードで走っているのですが、次々と抜かされて情けない状況で次の走者にタスキを渡しました。タスキにはICチップが入っていて、LAPタイムも分かります。私は1周目と最後の22周目を走ったのですが、1周目が5分38秒、22周目が6分31秒でした。結局、トータル12分9秒しか走っていないのですが、フルマラソンを完走したような気分でした。
駅伝の結果は、参加34チーム中22位で、記録は1時間46分58秒でした。この駅伝を目標とした走り込みで体重は約2キロ落ちて、チョットだけスリムになりました。
新聞に「年金資金の運用で国債などの債権から株式への比率を引き上げる」と書かれていました。このような記事を読む度に1989年の年末の日経平均最高値である38,957円が頭をよぎります。当時も年金資産を株式で運用していたはずで、我々の大切な年金資産が大きく毀損しましたが、誰も責任を問われません。
私は1990年の夏に勤めていた監査法人を退職して、同時に所有していた株式をすべて売却して、家族で北海道1周のキャンプ旅行に行きました。道中にラジオで「イラクがクウェートに侵攻」のニュースが流れ、株価の暴落が始まります。そしてその後20年間、株式相場は低迷し続けました。売却しないで株式を保有し続けていたらと思うと背筋が寒くなります(自宅を担保にローンを組んでまでして投資していました)。
こんな経験をしていますので、NISAや年金資金までつぎ込んで株式相場を上げようという国の施策には懐疑的です。3%~5%くらいの金利が付きますが、日経平均が30%~40%下落するとノックインとなり元本割れする仕組債などをメガバンクがしきりに営業してきます。私も日経平均が9,000円くらいの時には手を出しましたが、今の相場では手を出す気にはなれません。リスクが高すぎます。
数年前にはリーマンショックや震災で株価は暴落しました。今後は東欧諸国の財政破たん、中国経済の失速、大規模なテロなどが発生すれば株価は簡単に暴落します。こんなリスクだらけのマネーゲームに私たちの大切な年金資金をつぎ込んでよいのでしょうか?まぁ、損をしても誰も責任を問われないからやるんですかね・・・
事務所の社員から「ゴミ拾いのボランティアをしませんか?野口健も来ますよ!」と言われ、9月の土曜日にゴミ拾いのボランティアに行ってきました。千葉の京葉道路下の国道沿いにドライバーが捨てたゴミを拾うボランティアです。
軍手とゴミはさみとビニール袋とマスクは主催者が貸してくれます。私の好きな野口健さんが挨拶した後、15人くらいでひとチームになってゴミ拾いの現場に向かいます。国道の1車線を通行止めにして、安全を確保した状況の現場に到着します。見ると目を疑うほどのゴミの山が歩道の脇に捨ててあります。弁当箱の殻が入ったコンビニ袋が何重にも重なって、まるで土のうを積んだようになっています。
ゴミを拾う時間は1時間30分、「これはとても終わらないな」というのが始めた時の感想です。拾っても拾ってもゴミが出てくる状況で、ごみを入れるビニール袋はすぐいっぱいになってしまいます。すると、他の場所でゴミ拾いが終わったチームの人が次から次へと合流してきてゴミをどんどん片づけていきます。定刻までにはゴミはすべて拾われていきました。マンパワーの凄さを見せつけられました。
ゴミ拾いが終了した後に、野口健さんに話しかけて写真まで一緒に撮ってもらいました。きれいになった国道沿いも、約2週間でゴミだらけになるのが現実だそうです。しかし、「町をきれいにしよう」と思っている人がこんなにたくさん集まって、皆で力を合わせることができたことを嬉しく思いました。ポイ捨てはいけません。
9月から厚生年金保険料が例年のように上昇します。現在の保険料率が17.120%で、これが17.474%に上昇します。0.354%の上昇ですが、300,000円の給与で1,062円の上昇、従業員負担分はその半額ですので月額531円の負担増となります。
私の年金記録は、約11年間のサラリーマン時代の記録が一切ありませんでした。こんな体たらくなことをやっていて、保険料だけ勝手に増やされるのはいかがなものかと思います。
しかし、年金事務所に支払う保険料は滞納しないように注意しましょう。国税よりも県税よりも銀行よりも滞納者の銀行預金を差し押さえるスピードだけは一番です。渋谷に支店のある銀行では、渋谷年金事務所から滞納者の預金の差し押さえが毎日かなりの数あるとのことです。でも、すぐに年金事務所に行って誠意を見せれば差し押さえはすぐに解除されるようです。滞納をほったらかしにしないように注意が必要です。
イゼルディン・アブエライシュという医師が書いた「それでも、私は憎まない」という本を読みました。パレスチナのガザ地区にある難民キャンプで生まれ育ったパレスチナ人で、小さい時から親や兄弟の生活を助けるために働き、そして苦学して医師になった人です。パレスチナのガザ地区に住みながら敵対するイスラエルの病院に長く勤務したという異色の医師です。常に平和を唱え、今現在行われているような過去のイスラエル軍のガザ攻撃により自分の娘3人を亡くしたのにもかかわらず、両国の和平に尽力している医師です。
ちょうどこの本を読んでいるときにイスラエル軍のガザ攻撃が始まり、この攻撃により1,300人以上の死者が出たと報道されています。憎しみの連鎖により日々死者が積み上がっていきます。すべての人が憎しみをなくせば、このようなことにならないと思いますが、これでは逆に憎しみを持つ人が増えるばかりです。一刻も早い停戦を望みます。
都議会でのセクハラヤジが大問題となりました。その関連で、職場におけるセクハラの専門家が「挨拶をきちんとしている職場ではセクハラは起きにくい」と言っていました。それを聞いて、「礼儀は仕事効率化の最大の武器である」ということを私が朝礼で社員に言ったことを思い出しました。
もちろんこのフレーズも手にした書籍からの受け売りで、私が考えついた言葉ではありません。「おはようございます」「お疲れ様です」「ありがとうございます」「よろしくお願いいたします」「申し訳ございません」。これらの言葉を常に使っていれば、仕事の進行を妨げる不必要な感情は起こりにくく、人と人とのコミュニケーションはスムーズになり仕事はうまく進むと思います。職場のモラルも守られ、自然とセクハラのようなモラルの低い発言や行動も抑えられるようになるのでしょう。
ゴルフと温泉でよく伊豆の熱川温泉に行きます。熱川は湯量が豊富であちらこちらで湯けむりが立ちのぼっています。しかし、つい最近も海の目の前の一番目立つホテルが閉館となり、玄関には張り紙がされていて寂しい限りです。経営が立ち行かなくなったホテルはバイキングと飲み放題で1泊7,800円といった安さを謳ったホテルチェーンに変身して、それが更に既存のホテルの経営を圧迫しているように思えます。温泉街のゲームセンターや飲食店も休日でも人がまばらです。
その中でも人気があるお店があります。錦というお店で、ここの「鯵のたたき」はお奨めです。単に鯵を包丁で叩いて生姜と醤油で食べるのではなく、秘伝のタレと葱で練り込んでタワー状になって出てきます。そのまま何も付けずに食べるのですが、絶品です。
熱川に行く時がありましたら、ぜひ食べてみてください。
韓国の旅客船が大変なことになっています。あんな大きな船がひっくり返るなんて思いもよりません。また、転覆した後の救助の困難さも韓国からの映像を見るとよく分かります。
私は小さい頃からよく父親に連れられて海に行っていましたので、海は大好きです。海水浴、海釣り、サーフィン、操船と海遊びは一通りやってきました。
海釣りは、釣り船に乗って釣るほかに、手漕ぎボートを借りて海に出ることもあります。また、エンジン付きの船もレンタルできることから、船舶の免許を取ってエンジン付きの船を運転して釣りに何回か出かけました。しかし、海では漁師さんが網で漁をしていたり、何かの目印として浮かんでいるブイが多数浮遊しており、また、漁船やプレジャーボート、ヨット、ウインドサーフィンなど様々な海の乗り物が行き交います。実際に海に出ると、「のんびり釣りでも」とは大違いで、操船にかなりの注意力を払うことになり、「やはり釣り船に乗っていた方が楽だ」ということでギブアップしました。
サーフィンで千葉の一の宮方面に行ったときに、よい波が来ているのに海岸で座っている人が多くいました。「なぜだろう?」と思いつつも海へ出ます。海に入ってパドリングをしてすぐに分かりました。まっすぐに沖に行っているつもりが、潮の流れが速くて横に流されているのです。パトロールの人が「そっちに行かないで!」と叫んでいるのはわかっているのですが、いくら手で水面をかいても潮の流れが強くて流されます。あれよあれよという間にテトラポッドが近くなり、「もうテトラポッドに登るしかない」と思い必死にテトラポッドにしがみついて登りました。テトラポッドには貝がいっぱい付いていて、その殻で足のすねに傷を作り足は血だらけでした。こんなことをしているのは私だけで、浜辺の人達はこの間抜けな中年サーファーの脱出劇を笑いながら見ていました。
海は怖いです。海を甘く見てはいけませんね・・・
毎日ではありませんが、朝散歩に行きます。自宅から大宮八幡という神社まで往復で約1時間のルートです。神社の開門は朝の6時で、開門前に着いてしまった場合には、門についている菊の紋章の穴から賽銭を境内に向け放り投げて手を合わせます。私は、宗教にはまるっきり無関心ですが、ここに来て手を合わせると、自然に家族や事務所の皆や日本及び世界の安泰をお祈りしてしまいます。
開門と同時に神社に到着すると、いつもおじさんが門の前で待っていて、開門と同時に門をくぐったら、いつも下を見て何かを拾っています。初めは「銀杏でも拾っているのかな」と思っていましたが、銀杏の季節を過ぎても拾っています。開門と同時にちょっと気にして見ると、なんと開門前の門の穴から投げ入れた賽銭を拾っているのではないですか。とんでもないばちあたりです。
そうかと思うと、大宮八幡に向かって毎日道中のゴミ拾いをしているおじさんがいます。いつも半ズボンをはいて歩道に落ちているごみを歩きながら拾っています。私が6年くらい前に散歩をはじめた時からそのおじさんを見かけていますので、かなり前からゴミ拾いをしているのでしょう。頭が下がります。
方や賽銭を拾い、方やゴミ拾い。ん~・・・
毎年、雪が降ると家の前の雪かきをしなければなりません。平日に雪が降れば雪かきは妻に任せて私は会社に行くことになるのですが、今年は休日に大雪でした。雪かきを妻と始めると、近所の方もスコップを片手に集まり始めます。普段は挨拶くらいだけのご近所さんと雪かきをしながら会話ができるのも雪かきの楽しみでもあります。
家の前の道路を雪かきするのですが、まず道路の我が家側からやり始めます。しかし雪かきをやって行くうちに、道路の半分だけ雪がないのも気持ちが悪いので、結局道路全体を雪かきすることになります。
家の前の雪かきがひと段落したところで、「もうこれで終わりかな?」と思っていたら妻が「どうせならこの先もやってあげよう」と雪かきを更に進めます。私と息子も一緒になって雪かきをしていると、普段交流のないちょっと先のご近所さんの雪かきと合流しました。「ここのおばあちゃんがごみ出しに行けるルートを開拓しよう」などと言いながら、みんなで楽しく雪かきです。ご近所で一つの目標のためにみんなで力を合わせるということはそうはないことですが、雪かきを通して何かすがすがしいものがありました。
後日、足が悪くて雪かきなどとてもできない近所のおばあちゃんが、わざわざ雪かきのお礼に来てくださり、また我が家の前の方からは、お礼にビールとクッキーを頂戴いたしました。ありがとうございました。
生きのよいサザエが送られてきたので、そのまま焼いて壺焼きにしようと思っていたら、箱の中に刺身で食べる説明書が入っていました。沸騰したお湯に生きているサザエを30秒間入れ、それを取り出したら冷水に浸します。そして蓋を取ってナイフをからの入り口から入れて殻についている部分を切ると身が取り出せます。内臓とサザエの口を取り除いて薄く切れば出来上がり。ちょっと厚く切ったのでかなりの歯ごたえがありましたが、噛めば噛むほどに旨味が口に広がり美味でした。
京王線の千歳烏山駅に用事があり、昼時になったのでふらっと町中によくある店構えの中華料理屋さんに入りました。定番の餃子と焼売とビールをまず頼みます。老夫婦でやっているようで、正直あまり期待はしませんでした。しかし、餃子を口に入れると「これはなんだ」、焼売を口に入れると「おぉ これはすごい」という味です。最後におススメと書いてあったワンタンメンを注文します。1,100円とチョット高かったのですが、これが旨かったです。
その後、妻を連れて再度食べに行きましたが、妻も「こんなにおいしい焼売や春巻きや餃子を食べたことない」と感激していました。食べログではチャーハンの感想なんか書いてあって、さほど評価はよくないのですが、私の評価は★5つです。烏山飯店というお店です。一度味を確かめに行かれたらどうでしょう・・・
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という本を読みました。題名はショッキングなものですが、内容は柔道家木村政彦と相撲取りからプロレスに転向して活躍した力道山の生き様を記したものです。
木村政彦は戦前から活躍した柔道家で、15年間負けることのなかった柔道界では神のような存在でした。戦後、柔道では飯が食えないことからプロ柔道家になり、ハワイそしてブラジルに渡ってプロレスラーや格闘家と戦いました。グレーシー柔術の創始者であるエリオ・グレーシーにも完勝しています。
その後日本で力道山とプロレスをするようになりますが、いつも負け役をやらされるのと、力道山の傲慢な態度に我慢できず、力道山対木村の試合が組まれます。事前の話し合いでは、3試合をする予定で、1試合目も事前の打ち合わせがある試合でした。しかし、試合途中から力道山が切れ始め、滅多打ちにされて木村は気を失いノックアウトされてしまいます。本気でやれば実力は木村の方が上で、力道山を寝かせば得意の関節技か寝技で勝つことができたはずです。
ではなぜ本気になった力道山に木村が対応できなかったかというと、それは木村の油断と力道山の用意周到な準備にあります。木村は試合の前日も列車内で飲酒しているような状態。一方力道山は木村戦に備えたトレーニングと試合内容からみるとレフリーも抱え込んでいたようです。この試合で力道山はスターに、一方の木村は人気が落ちて、海外に活路を求めます。
どんなに実力があっても、驕りや油断は禁物。そして周到な準備が不可欠であるということですね。